水道水は安全水ですか?
安全水は蛇口をひねるだけでは手に入りません。
不況といえど、一部の企業活動はいまだ活発で、異動により全国転勤各地を転々とするサラリーマンはいまだ多いでしょう。そのような人達が、かつて住んだ街とと新しく住み始めた街の違いを聞いてみれば、出てくるのは気候や方言、習慣といったところでしょう。それを取り上げるテレビ番組もあったりして人気を博しています。そのような場ではあまり取り上げられないと思いますが、住む場所によって水も変わると私は思います。上水道設備は日本の各地でそれほど違うとは思えませんし、水系によって微妙にかわるミネラルの配合比の違いから来る味覚が捕らえられるかというのかどうかは定かではありませんが、この意見に頷いてくれる人は多いでしょう。
私はそれを象徴するようなエピソードを持っています。かつて転勤後のだいぶその街の地理にもくわしくなったぐらいの時に原因不明の体調不良に悩まされたことがありました。その時一番最初に疑ったのが水道水でした。その水が身体になじまないのではないかという疑いで生水を飲むのをやめミネラルウォーターに替えました。そうしたら不思議と体調が回復したのです。プラセボ効果と言われてしまえばそれまでかもしれませんが。
さらに今は昔とは少し考えが変わりました。昔は相性として処理していたのですが、水の安全性に関して疑念を抱くようになったのです。もはや蛇口をひねるだけでは安全と断言できる水は手に入らない、と考えます。それは、日本においてかつての信頼を裏切る出来事や、各組織の弱体化を象徴するようなニュースが頻出するようになったせいです。
また、既に世界には安全に水を得ることが出来ない人が11億人もいて、この数字は今後とも増え続けていくという事実を知った事も、水にたいするかつての固定概念を崩すきっかけとなりました。
日本における浄水器、ミネラルウォーターの活況ぶりは、水道水が飲めて当たり前だと考える人は減ってきてきている証拠なのではないでしょうか。
今後も自らの意志で安全水を求める人が増えてくるだろうと私は予想しています。
水道水の匂い、実は好きです。
我が市の水道水は、水源が山の綺麗な水ということで、とても冷たいです。
冬は、ものすごく冷たくて、とてもじゃないけど水で茶碗なんか洗えません。
そして、美味しいと思っています。
だから、生水をゴクゴク飲みます。
そのまま水出しの麦茶も作ります。
家族の誰もおなかを壊しません。
ペットボトル入りの水やウオーターサーバーがかなり普及している現代に、
私達って、もしかして石器人?とも思いますが、
家の水道の水は美味しいんです。
『美味しい』と言うからには、無味無臭と思われがちですが、
匂いはあります。
たぶん、浄水時の消毒の臭いなんでしょうね。
湯船に水を溜めた時、その匂いを感じます。
ちょっと薬臭いような匂い。
だけど、私は、この匂いが好きなんです。
いかにも『新しい水』っていう感じで。
おかしいでしょうか?
お風呂掃除をして、新しく水を入れて、「ああ、いい匂い。」って思います。
社会の仕組みからウォーターサーバーの良さを考える
人間は、生きていく上で、飲料水の確保は、死活問題です。昔は、湧水が近くにあったり、川に水を汲みに行ったり、井戸を掘ったりしてきました。その後、戦国時代くらいからでしょうか、上水道が造られてきました。近代の水道の始まりは、明治時代からです。飲料水を確保する歴史を簡単に振り返ってみますと、上水道を造ることで、飲料水を確保するというのが、社会の仕組みの基本のように思います。現代では、その上水も高度に発達し、安全な水が、地下の水道管を通して、供給されています。地下の配管を通して供給される仕組みには、飲料水だけでなく、都市ガスも地下のガス管を通して、供給されています。地下の配管を通して供給される仕組みの大きな欠点が、一つあります。それは、大地震などの災害のときに、配管が破裂した場合に、そのライフラインの復旧にかなりの時間を要するということです。危機管理という観点から考えれば、供給システム自体を根本から見直さないといけないくらいの重大な問題を抱えていることになります。ガスの供給を考えてみますと都市ガスの地下の配管を通しての供給システムと、ガスボンベに寄るプロパンガスによるエネルギー供給の2種類があります。水の供給も地下の配管を通した供給だけでなく、ガスボンベを配達するという一見非合理的なガスの供給システムから学ぶ必要があるように思います。まだまだ、水道事業のように公共化はされていませんが、ウォーターサーバーという地下の配管からではない、水の地上輸送という非合理的に見えかねない水の供給の良さの理解が深められれば、益々、天然でありながら、安心で、安全な水の供給が広まっていくのではないでしょうか?ウォーターサーバーが現代社会の都市文化の限界を警鐘し、未来の仕組みがどうあるべきかを提示しているようにさえ感じます。